☞ A年-2014
 ☞ 年間第26主日

年間第26主日

悪人が自分の行った悪から離れるなら、彼は、自分の命を救うことが出来る

2014年9月28日、日曜日


第一朗読

エゼキエル18・25-28

悪人が自分の行った悪から離れるなら、彼は自分の命を救うことができる。

エゼキエルの預言

主は言われる。18・25 「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。26 正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。27 しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。28 彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。」
++++
答唱詩編

詩編25・4+5a、8+9、10+14

すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む。

詩編25

25・4 神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。
5a あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。

8 神はあわれみ深く正義に満ち、罪びとに道を示される。
9 神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる。

10 契約とさとしを守る人に、神への小道はいつくしみとまことにあふれる。
14 神をおそれる人に神は心を開き、契約を示し、さとされる。
++++
第二朗読

フィリピ2・1-11

キリスト・イエスにもみられることを、互いに心がけなさい。

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

皆さん、2・1あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、〝霊〟による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。

6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
++++
福音朗読

マタイ21・28-32

兄は考え直して出かけた。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。

マタイによる福音

そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。21・28 「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言つた。29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
++++
オール神父の解説

私たちの信仰の道に、危険はあるでしょうか。

二人の息子の例え話を聞くと、私たちの信仰が危ないことを理解します。

正しい生活を送ろうとしている私たちですが、その信仰は習慣に脅かされています。洗礼を受けて信仰の道を歩んでいても、歩みを進めるのが難しい状況になる恐れがあります。なぜかと言うと、自分は既に道の終点に着いていると思う人がいるのです。なお悪いことに、もう着いたと自惚れる人さえいるかも知れません。例え話の弟は、この難しい状態に置かれています。

ずっと前から、宗教の専門家である「弟」は、神様の宝物を(つまり、神の言葉、神の律法、エルザレムの神殿、宗教的地位などを)受けて、全てを新しくしてくださる神様の招きに気が付かなくなってしまいました。神様に権力をいただき、その権力を振るいながら、彼は、神様の道を教えることではなく、自分の道を示すことになったのです。それは一番危ないことです。ですからイエス様は、「ぶどう園で働くように頼まれ、『承知しました』と答えたのに、どうして実際に行かないのでしょうか」と批判しました。彼はぶどう園で働いていると思っていたのに…。

一方、兄はすぐに「いやだ、いやだ」と答える人です。悩みがいっぱい、苦しんでいて、希望がなくなった人ではないでしょうか。ですから、閉ざされた世界に押し込まれ、どんな招きを聞いても、「いやだ」と叫んでしまうのです。ところが彼は、神様の招きの優しい声を聞き、憐れみ深い呼びかけに気付いた時、驚いて神様の招きに応えることになります。その時、全てを新しくしてくださる神様は、確かに、兄の心を新しくして、兄を生かしてくださるのです。

やはり信仰の道は、道を歩みながら、さらに歩み続けようとする人だけ進むことができるのです。一方、もう着いたと自惚れる人の信仰は薄くなってしまいます。

私には、この例え話を読んで分からない点がありました。弟と兄の設定は、間違いではないかと思ったのです。歴史的に、神様に選ばれた宗教の専門家、アブラハムの子孫は、兄になるはずではないでしょうか。一方、徴税人、娼婦、罪人などは、弟ではないでしょうか。どうしてイエス様はこの順番を逆にしたのでしょうか。

多分、神様の呼び掛けに応えて回心する人は、兄の地位を受ける人だからです。その人は、神様の交わりに与って神様の宝を受け継ぐ人です。

毎日、神様の呼び掛けに応え、その日のために、誰をも兄(または姉)とさせる恵みを受け継ぐように!

A年-2014

A年

A年