☞ B年-2015
 ☞ 年間第14主日

年間第14主日

わたしの恵みはあなたに十分である。

2015年7月5日、日曜日


第一朗読

エゼキエル2・2-5

神の顕現に接したエゼキエルは神の前にひれ伏すが、神からの霊が彼を立ち上がらせる。こうしてエゼキエルは預言者へと脱皮し、使命が授けられるが、彼が神の言葉を語る相手は「恥知らずで、強情な」反逆の民イスラエルである。彼を立ち上がらせた霊は彼を支える霊でもある。

エゼキエルの預言

その日、2・2霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。3 主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。4 恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。5 彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」
++++
答唱詩編

詩編116・1+2ad、栄唱

主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

詩編116

116・1神よ、わたしは目をあげてあなたを仰ぐ。あなたの住まいは天にある。
2ad主人の手に目を注ぐしもべのように、そのあわれみをわたしたちは待つ。

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。アーメン。
++++
第二朗読

㋥コリント12.7b-10

とげは「離れ去って」ほしい苦い現実。しかし、神に祈ったとき、「わたしの恵みは十分である」と神は語った。この言葉は今も有効。パウロは啓示の中だけでなく、とげの中にも神の恵みを見る。とげが彼を神へと接近させるからであり、神がキリストを通して働くからである。

使徒パウロのコリントの教会への手紙

皆さん、12.7bわたしが思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
++++
福音朗読

マルコ6・1-6

「この人はどこから得たのか、このような奇跡は何か」と問い続けるかぎり、イエスの本質に近づけたはずだが、「この人は大工ではないか、マリアの息子だ」というように自分の理解の範囲内で答えを出してしまうとき、せっかくの驚きがつまずきに終わる。それが神に逆らう反逆の民を生じさせる。

マルコによる福音

そのとき、6・1イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6 そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

B年-2015

B年

B年