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口から口へ

2011年11月4日

キリストを迎え入れるというのは、神様のみ言葉を聞き、救っていただくことです。それが、人間に対する神様の一番深い望みです。

神様は、私たち人間と話しています。ご自分の言葉を、私たちに告げ知らせてくださっています。私たちは聖書を読み、神様がご自分の言葉によって全てを創造されたことを理解しました。創世記一章に、きれいな表現で書かれています。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」「26神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。[…]』27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」神様が人を創造されたのは、特別なことでした。私たちは、私たちの心の中に神様が居られることを知っています。また、キリストを通して、み言葉が神様だということも悟りました。聖ヨハネは、はっきり説明してくださいました。「3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。[…]14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」このように、神様はみ言葉によってご自分を表してくださいます。ですから、キリストが私たちのうちに来てくださったのです。

キリストを迎え入れるというのは、神様のみ言葉を聞き、救っていただくことです。それが、人間に対する神様の一番深い望みです。

神様は、いろいろな方法でご自分の言葉を伝えてくださいます。神様が、どのようにモーセに言葉を伝えたか思い出してみましょう。「8口から口へ、わたしはモーセと語り合う。あらわに、謎によらずに。」と民数記に書いてあります。(12、8)面白い表現です。口から耳へではなくて、口から口へと言うのです。これはまるで接吻のようです。神様は、ご自分の言葉を音として聞かせ伝えるのではなく、接吻によって伝えたのです。息吹を吹き、命を与えたのです。モーセは、たくさんの言葉を受けることにより、命で満たされ、自分が受けた言葉を民に伝える使命を果たしました。受けた命を、言葉を通して伝えたのです。それによって、神様の民は、生きている民となったのです。

聖書週間になりました。私たちも、たくさん言葉を受けて、神様の命を迎え入れましょう。命で満たされて、言葉を伝えましょう。

神父の一言

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