四旬節と言うと、みなさんはなんとなく重い気持ちになるでしょうか。私が幼い頃の、四旬節についてのイメージや思い出は、あまり良いものではありません。それは、「やらなければいけない」「やってはいけない」「神様は、そうすることを君に望んでいる」などという感じです。元気が有り余っているような子供だった私は、「落ち着きなさい」「素直な子になりなさい」などという言葉を、神様から直接与えられた戒めだと思い、その恐ろしさから言われた通りにしていました。多分そんな私を見て、両親は安心したと思いますが、私は、厳しい神様に罰される恐怖から、神様のことが少しずつ嫌いになっていきました。外からは、素直な子供になったように見えたかも知れませんが、心の中では「イヤだ」と、繰り返しぶつぶつ言っていたのです。ですから、四旬節は私にとって最も大変な時でした。「節制しなければならない」など、戒め・義務ばかりのようでしたから。どうしてチョコレートを食べてはいけないの?どうして遊んではいけないの?これは、言いつけを守って神様の機嫌をとること?罰されないように?私は、このような神様が嫌いでした。神様の愛について時々聞いていましたが、いつのまにか私の心には、神様の厳しい顔しか浮かばなくなってしまったのです。神様の愛と神様の裁き。それは確かに矛盾していました。
青年になった私は、神様の憐れみを少しずつ経験しながら信仰の道を歩み、四旬節について理解するようになりましたが、先に書いた幼い頃の私と似たようなことは、ほとんどの信徒さんたちが経験しているのではないでしょうか。もしかしたら、四旬節に入った今、何となく重い気持ちになってはいないでしょうか。
四旬節に入ったことを、喜ぶ信徒さんはいるでしょうか。四旬節を、復活されたキリストを迎え入れる機会とする信徒さんはいるでしょうか。四旬節を、心を準備して、つまり心を開いて、神様のあふれる恵みを受け入れるきっかけの時と認識している信徒さんはいるでしょうか。特に、赦しの恵み、赦しの秘跡を。多くの恵みを受けて、神様の憐れみを経験する信徒さんはいるでしょうか。そして、心にも体にも、癒しを受けるきっかけとして認識している信徒さんはいるでしょうか。神様の恵みを受け、この恵みを、日常生活を行っていく力として使う信徒さんはいるでしょうか。復活されたキリストと結ばれて、福音に従いたいと思う信徒さんはいるでしょうか。
今まで誰かを、何かを「赦せない」と思っていた信徒さんは、神様の赦しの力を使って、兄弟姉妹を赦そうとするでしょうか。神様の憐れみを深く感じ、苦しんでいる兄弟姉妹を裁くのではなく、憐れみのうちに助け、支えになろうとする信徒さんはいるでしょうか。
四旬節は、兄弟姉妹を大切にするきっかけです。福音とは関係のない自分の習慣や我がままを捨て、神様の御心に適う者となり、復活されたキリストの兄弟姉妹として生きるように!
四旬節の招きとは?節制が目的ではありません。キリストと結ばれ、復活させていただいた人間として生きることです。
2013年12月20日
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