弟子たちと共に暮らしていたイエス様が、弟子たちのもとから離れ去ってしまうという理由は、どのようなものだったのでしょうか。それは、イエス様が決めたことだったのでしょうか。イエス様は、何故このような寂しいことを弟子たちに伝えたのでしょうか。ペトロが喜び叫んだように、一緒にいるのは素晴らしいことなのに。[マルコ9・5]
このように、イエス様はご自分が去ることを告げましたが、同時に「しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」と弟子たちに約束しました。つまり、安心しても大丈夫です、と。
イエス様の弟子である私たちも、安心していいのでしょうか。
イエス様はご受難の間、私たちから離れている間に、ご自分の命を私たちのために捧げてくださり、十字架上で神様の救いの計画を成し遂げました。その間に、私たちを死に連れて行く私たちの罪の束縛から、私たちを解放して自由な人としてくださいました。暗闇にさまよっている私たちが、神様の愛に照らされるよう執り成してくださいました。生きる目標のない私たちの苦しみを、平和と喜びに変えてくださいました。イエス様は、ご自分の死を迎えることを通して、私たちの死に打ち勝ち、私たちのために永遠の命の門を開いてくださったのです。
聖週間の典礼は、この神秘を記念します。
聖週間の典礼が終わると復活祭です。私たちは特に、死から戻って来られるイエス様、復活されたイエス様を迎え入れるように招かれます。
私たちは、復活されたイエス様を迎え入れることを通して、十字架上で私たちのために用意された私たちの自由、平和、喜びを迎え入れるのです。復活されたキリストと結ばれる全ての人は、新しく創造されて救われます。
ご受難によって、私たちから離れ去られる前のイエス様ではなく、死から戻って来られるイエス様、復活されたイエス様を受け入れるなら、私たちは幸いです。それで私たちは救われるのです。
2013年12月20日
2012年12月20日
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2011年2月26日