典礼的に主の降誕祭と復活祭は重要です。これらを祝う心の準備をする期間を通して、救いの神秘を記念することが出来ます。
復活祭の準備としては四旬節、主の降誕祭の場合には待降節があります。クリスマスを祝う季節に入った今、待降節について考えて見ましょう。
待降節は、クリスマスを待ち望む季節なのでしょうか。私たちは、私たちの内に来て人間となった神様の子を待ち望んでいるのでしょうか。ヨハネの福音を思い出してください。「言は、肉となって、私たちの間に宿られた」と、福音記者が伝えています。しかし、私たちが待ち望むのは、過去に起きたこの出来事ではありません。待ち望むことができるのは、イエスが約束されたこと。すなわち、イエス・キリストの再臨です。「そのとき、地上のすべての民族は【…】、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。【…】あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」と、マタイ福音記者がそれを思い出させます。人の子(キリスト)は再び来られる時に、私たちを神様のみ国に連れて行ってくださいます。その時「成し遂げられた」という、十字架に付けられたキリストの叫びを表す救いの神秘が、私たちのためにも成し遂げられるのです。
待降節に入った私たちが、再び来られるこのキリストを待ち望むのであれば幸いです。死から解放される救いを待ち望む希望を持っているなら幸いです。
クリスマスの準備、再び来られるキリストを迎える準備をする中で忘れられがちなのは、救いの神秘が来ることです。
この神秘を忘れないように、キリストが私たちのところに来てくださった目的を思い出しましょう。それは、簡単に言えば、神様の救いの計画を私たちに示し、私たちを救うことです。
主の降誕祭(クリスマス)を祝う度に、この神秘を思い出しましょう。主の降誕(人の子の再臨)を待ち望む希望を思い出しましょう。
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