イエス・キリストの復活によって、私たちは神様に愛されているということを悟りました。
驚くこと。それは、イエス・キリストの復活です。
簡単に言えば、イエス・キリストは、死んで、復活しました。これは、当然の出来事ではありません。人間が、生まれてから生活したのち死ぬのは、もちろん当然のことです。しかし、死んだ人間が復活することなど、普通ではありえないこと。とても当然とは言えないことです。
それなのに、『イエス・キリストは殺されたのちに復活された』と認める人々は数多くいます。一体それはどうしてでしょうか。
ここでは、沢山あるその理由の中から一つだけお話したいと思います。
イエスは、ご自分の栄えのためではなくて、私たちに神様の愛を表し、その愛を感じさせるために、殺されるまで自らを捧げました。
公の生活の時、イエスは、誰にも愛されていないと思っている人々が、喜びの内に生きるように、神様の愛を示してくださいました。生きる権利さえないと思っている人々が、幸せの内に生きるように、神様に信頼することを示してくださいました。病に苦しむ人々が健康に生活できるように、体だけではなく心の病気をも癒し、神様の慈しみを示してくださいました。自分がおかした罪によって、罪の奴隷に陥った人々が、自由な人として生きるように赦し、神様の憐れみを示してくださいました。
福音が告げ知らせるのはこのことです。福音を告げ知らせるのは、人々を神様の愛の内に生かすことです。人間が神様の幸せの内に生きることは、イエス・キリストの栄光なのです。
私たちには、必ず死が訪れます。肉体をもつ人間は、その死を超越することができません。誰もが必ず死ぬということを考えれば、神様がもたらしてくださる幸せも完全ではないように思えます。死があることで、私たちが絶望に陥る恐れはまだあったのです。ですから、神様の愛を完全に示すために、イエスは死を滅ぼしたのです。そのためにイエスは、自らを生贄として捧げました。自分の命を捧げ、殺されてまで、神様の愛を完全に示してくださったのです。
どのように神様の愛が示されるのでしょうか。それは、イエス・キリストの復活によって示されるのです。イエス・キリストが復活したことによって、人間である私たちは、神様に愛されていることが真実だと深く理解できるようになりました。
私たちが神様の幸せの内に生きるよう、神様の愛を示すために自分を捧げ、私たちに恵みを注いで死んだイエス・キリストが復活したのと同じように、私たちも復活し、死による恐れや絶望がない永遠の命によって生きるようになりました。
イエス・キリストが、公の生活の時に、絶え間なく神様の愛を注いでくださったことによって、私たちは復活を信じるのです。
私たちが信仰を持っているのは、イエス・キリストが復活したからです。イエス・キリストが復活したのですから、全ての良い業、全ての愛の業が真実なのです。
私たちが今、イエス・キリストに従い、彼の模範に倣って愛の業を行うことは全て、キリストの復活の徴です。たとえば、互いに赦し合うことは、もう既にキリストの復活のうちに生きるていることの徴です。
私たちは、イエス・キリストの復活によって、私たちが神様に愛されていることを悟りました。神様に感謝しましょう。
ご復活おめでとうございます。
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