☞ 驚かせることは、何?

驚かせることは、何?

2007年4月7日

私たちを驚かせることと言えば、何があるでしょうか。それまで人類が経験したことのないような衝撃的な出来事と言えば、どんなことがあったでしょうか。今までに起こった信じられない事件と言えば、何でしょうか。

イエス・キリストの復活によって、私たちは神様に愛されているということを悟りました。

驚くこと。それは、イエス・キリストの復活です。

簡単に言えば、イエス・キリストは、死んで、復活しました。これは、当然の出来事ではありません。人間が、生まれてから生活したのち死ぬのは、もちろん当然のことです。しかし、死んだ人間が復活することなど、普通ではありえないこと。とても当然とは言えないことです。

それなのに、『イエス・キリストは殺されたのちに復活された』と認める人々は数多くいます。一体それはどうしてでしょうか。

ここでは、沢山あるその理由の中から一つだけお話したいと思います。

イエスは、ご自分の栄えのためではなくて、私たちに神様の愛を表し、その愛を感じさせるために、殺されるまで自らを捧げました。

公の生活の時、イエスは、誰にも愛されていないと思っている人々が、喜びの内に生きるように、神様の愛を示してくださいました。生きる権利さえないと思っている人々が、幸せの内に生きるように、神様に信頼することを示してくださいました。病に苦しむ人々が健康に生活できるように、体だけではなく心の病気をも癒し、神様の慈しみを示してくださいました。自分がおかした罪によって、罪の奴隷に陥った人々が、自由な人として生きるように赦し、神様の憐れみを示してくださいました。

福音が告げ知らせるのはこのことです。福音を告げ知らせるのは、人々を神様の愛の内に生かすことです。人間が神様の幸せの内に生きることは、イエス・キリストの栄光なのです。

私たちには、必ず死が訪れます。肉体をもつ人間は、その死を超越することができません。誰もが必ず死ぬということを考えれば、神様がもたらしてくださる幸せも完全ではないように思えます。死があることで、私たちが絶望に陥る恐れはまだあったのです。ですから、神様の愛を完全に示すために、イエスは死を滅ぼしたのです。そのためにイエスは、自らを生贄として捧げました。自分の命を捧げ、殺されてまで、神様の愛を完全に示してくださったのです。

JPEG - 互いに赦し合う事
互いに赦し合う事

愛を示すために恵みを注いだ。

どのように神様の愛が示されるのでしょうか。それは、イエス・キリストの復活によって示されるのです。イエス・キリストが復活したことによって、人間である私たちは、神様に愛されていることが真実だと深く理解できるようになりました。

私たちが神様の幸せの内に生きるよう、神様の愛を示すために自分を捧げ、私たちに恵みを注いで死んだイエス・キリストが復活したのと同じように、私たちも復活し、死による恐れや絶望がない永遠の命によって生きるようになりました。

イエス・キリストが、公の生活の時に、絶え間なく神様の愛を注いでくださったことによって、私たちは復活を信じるのです。

私たちが信仰を持っているのは、イエス・キリストが復活したからです。イエス・キリストが復活したのですから、全ての良い業、全ての愛の業が真実なのです。

私たちが今、イエス・キリストに従い、彼の模範に倣って愛の業を行うことは全て、キリストの復活の徴です。たとえば、互いに赦し合うことは、もう既にキリストの復活のうちに生きるていることの徴です。

私たちは、イエス・キリストの復活によって、私たちが神様に愛されていることを悟りました。神様に感謝しましょう。

ご復活おめでとうございます。

神父の一言

もっとも新しい記事

主の降誕祭について

2013年12月20日

待降節に入ると私たちはすぐに、クリスマスの祝いが近いことを思い出します。救い主が来られるという約束を受けた私たちは、心の準備をしてキリストを迎え入れようとしています。
つづきを読みなさい ☞
しばらくすると…

2013年3月31日

イエス様から「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなる」[ヨハネ16・16]と言われ、弟子たちは驚いたことでしょう。
つづきを読みなさい ☞
信仰年における、クリスマスのお祝い

2012年12月20日

今年は、特別なクリスマスのお祝いです。 信仰年における、クリスマスのお祝いです。 信仰年にあたり、神様のみ言葉を灯火として受け、信仰の神秘にあずかるように招かれています
つづきを読みなさい ☞
ごミサに集まる人々は、だれ?

2012年7月7日

信仰生活をしている人は、毎日曜日ごミサに参加します。ごミサは、イエス・キリストの救いの神秘を記念する礼拝であり、非常に大切なもの、信仰生活の起源であり頂点であるとも言われて (...)
つづきを読みなさい ☞
四旬節と言えば

2012年2月23日

四旬節と言うと、みなさんはなんとなく重い気持ちになるでしょうか。私が幼い頃の、四旬節についてのイメージや思い出は、あまり良いものではありません。それは、「やらなければいけな (...)
つづきを読みなさい ☞
歓迎会

2011年12月22日

待ち望んでいた主が来てくださいました。来てくださった主を迎え入れましょうか。
つづきを読みなさい ☞
口から口へ

2011年11月4日

キリストを迎え入れるというのは、神様のみ言葉を聞き、救っていただくことです。それが、人間に対する神様の一番深い望みです。
つづきを読みなさい ☞
「聖ペトロと聖パウロ」を祝おう!

2011年6月29日

聖ペトロと聖パウロのお祝いは、毎年6月29日に、二人の殉教を記念して行います。彼らの生贄を通し、信仰は私たちにまで伝えられました。私たちは現在も、聖ペトロと聖パウロの信仰を (...)
つづきを読みなさい ☞
「私はある」という人が復活されました!

2011年4月23日

受難を受けて死に、復活したイエス様を、この世を救ってくださる神様として認めることが出来るでしょうか。
つづきを読みなさい ☞
永遠の命って?

2011年2月26日

神様は、私たち一人一人を大切にしてくださるので、永遠の命にあずからせるまで、私たちを待たせるわけではないのです。もう既に、永遠の命は与えられているのですから。
つづきを読みなさい ☞